こんにちは
今日も私のブログを訪ねて下さってありがとうございます。
本日の曲は
The Girl From Ipanema ー イパネマの娘
です。先日亡くなった Astrud Gelberto(アストラッド・ジルベルト)を世界的に有名にした曲です。
そして、歴史上2番目に多くレコーディングされたポップスなのです。
イパネマ海岸。石畳が特徴的です
概要
“Garota de Ipanema”(The Girl From Ipanema)”は 1962年に Antonio Carlos Jobim(アントニオ・カルロス・ジョビン)により作曲、ポルトガル語の詞は Vinicis de Moraes(ヴィニシス・デ・モライス)により作詞されました。英語の詞は後に Norman Gimbel(ノーマン・ジンベル)によりつけられたものです。
この“Garota de Ipanema” はミュージカル・コメディー “Airship” のために書かれ、
当初のタイトルは “Menina que Passa”(“The Girl Who Passed By”)でした。
歌詞概要
(歌い手が男性の場合)
若くてきれいなあの娘が海に向かって歩いていくのを
今日も眺めている(中年の)俺。
みんなも溜息をついているよ
でも君は僕が微笑みかけても知らん顔で通り過ぎて行くんだよ・・
Free Image
(歌い手が女性の場合=”The Boy From Ipanema”となることが多いです)
若くてイケメンの彼が今日も海に歩いていくわ
みんなも彼のことを見て溜息をついてるわ
でも私が微笑みかけてもこちらも見ずに行ってしまうのね・・
イパネマの娘の誕生
いかがでしょうか?なんとも切ない片思いの歌です。
さて、
「イパネマの娘」は空想の中の女の子なのでしょうか?それとも実在する?
答えは「実在する」です。
イパネマ海岸のモンテネグロ通りを歩く当時17歳の美しい少女、”Heloisa Eneida(エロイサ・エネーダ)はよくビーチへの途中にある ヴェローソ・バーに立ち寄って母から頼まれたタバコを買っていました。その時にはお客の男たちは”ヒューヒュー”と口笛を吹いてはやし立てたそうです。
Bar Veloso
イパネマの娘は地元でも評判の美女だったのですね。
実際私はテレビで見たことがありますが、ABBAのアグネサにちょっと似た美女でした。
そしてその娘も超・絶美少女でした!
さて、そんなエロイサの姿をバーで見て、ジョビンとモライスが書いたのがこの曲だったというわけ。
バーのその席には今も「この席で”イパネマの娘”は生まれた」と書かれているそうですよ。
曲の走り書き。
行ってみたい!
こうしてモライスとジョビンに出会ったエロイサでしたが、
ジョビンに「君のために曲を書くから僕と結婚して欲しい」とか言われて
盛り上がってしまい、当時のカレにバイバイしようとしたところ
カレシ「無理!その男と話してくるぞ俺は」とか言って2人のところに行くと
なんか意気投合してすっかり友達になってしまったといういかにもブラジル的なストーリーがあったのです。
ホントかいな?
さて、その後の「イパネマの娘」の世界的ヒットを受けて、世間は「イパネマの娘」とは誰だ!?と探すものの、当時まだ未成年だったエロイサを世間にさらさないようジョビンとモライスはこれを伏せていたんですね。
そしたらこれまたブラジル的な話ですが
「それは私よ!」「イパネマの娘は私!」という女子が多発したそうです(笑)。
加勢大周と新加勢大周を思い出しますね!
エロイサが20歳になった時にようやくジョビンとモライスは
「実は彼女こそが”イパネマの娘”なんだ」とエロイサの存在を明らかにしました。
その後のエロイサはあっという間にセレブの仲間入りを果たし、モデルとしても活躍しました。
引退後は主婦として素敵な(多分)ダンナ様と超・美人な娘3人と過ごしていらっしゃるようです。
あぁ、長かったですね
すいません!
そしてアストラッドのイパネマが生まれる
その後 ニューヨークで、
ジョアン・ジルベルト、アントニオ・カルロス・ジョビン、そしてスタン・ゲッツの3人がレコーディングを行った際、この “イパネマの娘” の英語版を作ろう、というアイデアが持ち上がりました。
しかしその場に居て英語を話せるのはジョアンの妻(当時)のアストラッドのみ。
ということでアストラッドがこれを歌うことになったのです。
あとは皆さんの知る通り。
この曲は世界的なヒットとなるのですが(と言ってもチャート的には
アメリカのアダルト・コンテンポラリーチャートで1位だったものの、UKでは29位止まり、と「大旋風」という訳ではなかったようです)、プロでないからこそのアストラッドのトレーニングされていない、どこか頼りない歌が曲にパーフェクトマッチ!!
世界的名曲の誕生は偶然の産物だったわけです。
余談ですが、アストラッドは楽曲には一切のロイヤリティーを持たなかったので、
歌のギャラとして当時$120を貰っただけで、その他の収入は一切なかったとの事。
えっ!?
…正直、どう思っていたのでしょうね…?
それではそんなアストラッドの歌を聞いてみましょう
参照動画
スタジオレコーディング版(英語版)
PVも可愛い
ポルトガル語のLive版
けっこうテンポ早い💦
曲の難しさ、特徴
いかがでしたか?
上の英語のほうの動画はもちろんレコードになったテイクですから完成度の高いものなのですが、
数あるライブ版の中には、ソロ明けで入りそこなっているものや、音程が怪しいのでサックスが助け舟を出しているバージョンなどもあって「この歌はやっぱり難しいのね」と安心したりします(笑)。
例えば、
・イントロからの一音目は
「ド・ミ・ソ・シ」の和音を聞きながら「レ」で歌い出す(Key=C の場合)。
・サビの3つの上昇形は「ド」⇒「レ#」⇒「ミ」の動きが不安定で怖い。
これが独特の浮遊感を演出しているので魅力なんですけれどね!
などちょっと緊張する曲ではあります。
私は頭の中で自分の基本の音を鳴らしてそこから1音目を取って
確認しつつ歌っていました(笑)。
アストラッドのイメージが強いためか、日本ではあまりこれを歌う男性シンガーはいませんが、元々男性が主人公の歌ですので是非レパートリーに加えて頂きたいものです。
できればポルトガル語でも…^^
長々お付き合いありあがとうございました。
是非素敵な「イパネマの娘」を歌ってくださいね♪
関連記事: