こんにちは
今日も私のブログを訪ねてくださってありがとうございます。
本日の曲はシーズンに合わせて
Blue Christmas
です。
あまり含みのないシンプルな歌詞なので書いてもアクセス無いと思うのですが(笑)、
クリスマスソングの中でも一番好きなので書くことにしました。
概要
Blue Christmas(邦題もブルークリスマス)は Ernet Tubb(アーネット・タブ)により1948年にリリースされました。アーネットはカントリーシンガーなのでこの雰囲気なのですね。
この曲が大ヒットしその後も定番となったのは1957年のエルヴィス・プレスリーのカヴァーによってです。
恋人の居ないブルーなクリスマスを歌うエルヴィスの甘くせつない声は『そりゃヒットするだろ!』と
ツッコミを入れたくなるほどの完璧な仕上がりで、今もこれが One and Only といっていいヴァージョンだと私は思います。
私とBlue Christmas
ここからは私の話です。
もう10年以上前のことになります。
私はとあるピアニストとデュオを組んでいました。
彼は湘南に住む外国人でした。
人気のあるボーカリストとのライブや、ビッグバンドのメンバーとしての大きな仕事もたくさん経験しており、それ故に自信家なところがありました。
まだ新人で方向性も定まらないような私には、彼は大先輩に見えましたが、縁あって一緒に仕事をするようになったのです。ちょっと自信家なところや10歳も年上であることも全て頼りがいのある心強い先輩と感じられました。
一緒に活動をするようになってからは、
大人数のバンドをバックに声を張ってスウィングを歌う、というタイプではない私のために彼は色々とコンセプトを練ってくれたり、時間を惜しまずリハーサルを繰り返してくれたりと、とても熱心に私の面倒を見てくれるようになりました。
そのお陰もあって、彼とのデュオは次第に定番化し、それに見合った仕事も多く入るようになったのです。
洒落たミュージックバーでのBGM的なライブやイベント演奏、そして時々大きな編成での大きなライブハウスでの演奏、その他は新曲を練習したりレコーディングをする、というペースが私には合っており、快適に音楽活動をしていた時期だったと思います。
そんな頃でした。私はとある女性誌と電通が開催した”美魔女コンテスト”に選出され、雑誌はもちろん、TVの密着やCM、ラジオなどで忙しくなっていきました。
彼はそれをとても喜んで全面的にサポートしてくれるようになり、まるでマネージャーのように面倒を見てくれました。
というのも、推薦で入った私は、ビューティーコンテストに勝つことよりも、それによってジャズにもっと注目してもらいたい、という気持ちがあったからです。
エントリーするにあたって『インタビューやコンテスト全般に関わる活動において美容の話と同時にジャズの話をさせて貰えるならば』ということでOKしたという経緯がありました。
もっとジャズに興味をもってほしい、たくさん新しいお客さんに聞いてほしい、という考えだった彼にとっても私のこの活動は非常に大きなチャンスだったわけです。
私に取材や撮影が入る度に彼は熱心にシンガーとしての私をサポートしてくれ、
ノーギャラもしくは安い出演料でも演奏シーンなどに出演したり、現場まで送り迎えしてくれるようになりました。
私としては非常に頼りになり、仕事のしやすい環境を積極的に作ってくれる彼はとてもありがたかったのは事実でした。
しかし、次第にそれは他のミュージシャンを私に寄せ付けないような形になっていったのです。
「あいつとは共演しないほうがいい」「あの店は彼でなく僕とやるべきだった」などと
彼は私を囲い込むように周囲の人間関係について言い聞かせてきたり、だんだんと編曲やライブでの演出までするようになっていきました。
気づいた時には、私に近寄らないようにと彼に遠ざけられたミュージシャンや音楽関係者が何人もできていて、私はとても驚きました。私を引き上げようとするあまり、今までの世界から私を引き離そうとしたのでした。
レパートリーについてもあれこれと口を出すようになり、スタジオに私を呼び出しては私を変えようとするようになってしまったのです。
彼のオリジナル曲も何曲も渡されました。好きではなかったので歌いませんでしたが。
こうして段々と私は彼のすることなすことに苛立って、抵抗を感じるようになったのも自然なことだったと思います。
ライブのブッキングをチェックしたり、私が出ている雑誌やラジオを見たり聞いたりしていちいち感想を伝えてくるのにも鬱陶しくなってきてしまいました。
それでも新人の私の面倒を見てくれ、親身にサポートしてくれた恩はあったので(”恩がある”などと思う時点でもう気持ちはかなり離れていたと言えるでしょう…)、何も言えない私でしたが、次第に彼から投げられるボールを打ち返す気持ちがなくなっていきました。
そんな時、口を出されすぎて大嫌いになってしまった曲があります。
ベット・ミドラーで有名な The Rose です。
メッセージ性があってヒットした映画とのリンクが深いこの曲を好きな方は多く、リクエストされることもよくありました。
それだけに一定の愛着もあったのですが、ある日いつものようにスタジオに呼ばれて、また彼にあれこれ「改造」された私はついに我慢できなくなり、 The Rose の譜面を破り捨てて帰りました。
それ以来この曲は私のレパートリーから外れ、いつもライブに持参するソングリストからも抹消されました。
曲が嫌いなわけでもないのにこんなことになってしまった出来事に私はショックを受け、このままではいけないと真剣に思うようになりました。
従順な操り人形の私はもういなくなるべき時だったのです。
それからは彼とは意識して距離を取るようになり、一緒にやってきた仕事についても他のミュージシャンを頼むようになっていきました。
彼が怒って離れていくようならばそれはそれで仕方ない、むしろいい事なのだと考えらえるほど私の気持ちは離れていました。
それでも最低限のレギュラー仕事は残していたので、会う時には不満を言われながらも表面的には普通に仕事をしていました。
そんな風に過ごしていたある時、彼が連絡もなしに仕事に来ないことがあったのです。
うるさいほど生真面目な彼にしてはおかしいと思ったのですがついに彼は来ませんでした。
なんと、彼は
突然の事故で亡くなっていたのです。
鬱陶しいと思うことはあったけれど、まさかそんな風に居なくなってしまうとは思いもしませんでした。
そんな彼が私に「Naokoにぜひ歌って欲しい」と勧められたのがこの Blue Christmas でした。
反抗心から一切聞く耳を持たなかった私は、曲名こそ知っていたものの聞く気にもならず放置していたのですが、数年経ってこの歌をロッド・スチュワートのクリスマスアルバムで聴いた時、最初の1フレーズでそのメロディーに、歌詞に、私は圧倒されました。それは Overwhelming、まさに押し寄せて来て私を驚かせました。
音楽が仕事になってから良くも悪くも、どんな曲を聞いても評価したり分析したりしてしまい、100%感情的にならなくなっていた私でしたが、これは違いました。
静かでエモーショナルなこの曲を私に歌わせたいと思った彼の気持ちがどんどん伝わってきて止めようと思っても止まりませんでした。
私は特定の曲にあまりに感情移入することは良いことと思っていなかったので、この体験には正直言って戸惑いました。どんな曲とも一定の距離をもってある意味器用に、冷静に関わりたいと思っていたのです。
それを一切無視してこんな風に自分の感情と直結しまった曲はこの Blue Christmas だけです。あ、The Rose もか(笑)。
その事がいいのか悪いのか私はもう考えるつもりもないのですが、
そんな経験を踏まえて今この歌詞を読むと、私に残されたメッセージのように思えるのです。
以上、私の思い出話が長くなりましたが、ぜひ歌詞を読んでみてください
歌詞概要
※このテーマでは著作権保護のため、歌詞(英・日共)は掲載せず
適正な引用のみでお届けしております。どうぞご了承くださいませ。
限られた表現の中ではありますが、歌の世界を楽しんで頂けましたら幸いです。
君のいないブルーなクリスマス
君を思うだけでブルーなクリスマス
赤い飾りをつけた緑のツリーも
君が居なければもう同じではないよ
青い雪が舞い降りると
ブルーな思い出がよみがえる
君は素敵なホワイト・クリスマスを過ごしているんだろうね
でも僕はブルーなクリスマスだよ
参照動画
1.私が一番好きなロッド・スチュワートのバージョン
2.そしてアイコニックな Elvis のバージョン。ライブヴァージョンにしてみました
誰とでも、一人でも、どこででもいいんです。
あなたらしい素敵なクリスマスを過ごしてくださいね。