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「<私>」と書かれるもの。

Life

Today’s Theme is : “大人なら” 問う。

 

こんにちは!

今日も私のブログを訪ねて下さってありがとうございます。

 

今日は…

「GWに面倒くさいことを考えるのが大好きなんだ」という方に

うってつけ!

 

「私ってナニ?」

です。

わー、めんどくさい!

話の発端は

最近寝つきが悪く、「よし、眠くなるように世の中で一番つまらない本を読もう!」

と決めて哲学の本を何冊か購入したことでした。

(以前はジャズのコード理論が一番よく眠れたのですが…(笑))

キッパリ。

 

しかし、不幸にもこの哲学の中の面白い箇所に出会ってしまい

気づけば近頃「何かを」考察している次第。青い。遅れてきた青年。

 

で、今面白いのが

自分の「私」と人の「私」

です。

 

い、いってみましょうか

うまく言える自信ないですが…

 

ず、私は自分を「私」と呼び、そう認識している。

そして友達も自分を「私」と呼び、そう認識している。

しかし私の思う「私」は友達の「私」とはちょっと、いや、かなり違うと私は思っている。

私の「私」はより絶対的で全体的である、と。

というのも「私」の概念はひとつではなくて、

 

「私」がこの世から消えても他の人たちの「私」が居るから

世の中は明日も変わらない。

そういう認識の「私」

他の人たちの「私」と自分の「私」は同列。

 

②そうではなくて、「私」がこの世から消えたら宇宙のすべてが

終わる、という絶対的で唯一の存在としての「私」

この「私」の認識は誰とも共存せず、宇宙の全てと同意義の

特殊な存在としての「私」

 

この考えはすでにあって、②は

・「<私>」(哲学者・永井均はこう表現した)

とか

・「独在的存在者」(森岡正博)

とか言われるそうです。知らなかった。。

 

さて、私は自分の「私」をどっちと捉えているんだろう?

①か②か?

②のほうがなんとなくいい気がする。。

舌切り雀ならば絶対大きなつづらのほうがいい。

 

いうことでここで②とした場合。

その場合でも必然的に他者との関わりの中で生きなければいけない以上、

私は完全な「<私>」

あなたも完全な「<私>」

という次元にまで降りてこなくてはいけないので

このプロセスにおいて②の絶対的なひとり性は崩壊する、と。

(この辺いまひとつよく解らない…)

 

だからああだこうだと

「私」

「私!」

「私~!!」

と探っているうちに

最後はこの

「唯一無二の自我」と「唯一無二の他我(というのか?)」

があって、

あなたも私も等しくかけがえのない存在なのである、という

なんか非常に崇高で平和な

「私」を滅した思想になっていくという。。

そういう事みたいです。

 

なんか優しく首を絞められた気分。

 

また眠れない。

 

P.S.

「舌切り雀」といえばこんな歌を思い出す(桃太郎さん桃太郎さんの節で)。

『舌切り雀舌切り雀~カルーセル麻紀も下切った~』

 

失礼しました。

 

 

 

 

 

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