Today’s Theme is : “大人なら” 正しく別れる
こんにちは
今日も私のブログを訪ねて下さってありがとうございます。
今日は先日からずっと思っていること…
ものを捨てるということ
について書こうかなと思います。
今年は空家になった実家の解体にいよいよ手を付けたのですが、
工事の前にちょこちょこ私が通っていても、
一度に片付けられるのはせいぜい段ボール1つか2つでした。
「この食器は母の誕生日のだったから取っておこうか」とか
「写真はシュレッダーにかけないと」 とか考え始めて全くはかどらないんです。
もう少しやる気になったとしても
「え、仏壇ってどうやって捨てるの!?」
と出来ないことだらけ。
最初こそ
「これはリサイクル」とか「これは誰それへ」なんて箱も分かれていましたが
その割にはソファのカバー1枚、カーペット1枚をその日に捨てられるわけでもなく、
部屋の隅っこのものを右から左に動かしては困り果てていた、というのが現実でした。
ところが、です!
いざプロの手によって解体工事が始まってみると
本当に『あっ!』という間に全てが片付いてしまいました(当然といえば当然ですが)。。
どうしていいか判らなかった百科事典、壊れた楽器、スポーツ用品やアルバムも
一気に”1平米いくら、の廃棄物” に存在を変えました。
いや、”ようやく変えてくれた”と言うべきかもしれません。
そして毎日4トンダンプが何度も往復して
全てを業者さんの廃棄処理場に運んでくれました。
これにはモノの量が多いことにびっくりした、とか
思い出がゴミになってしまった・・とかいう感想や感情ではなく、
「捨てられた」ということに単純に驚いた!
ようやくモノと自分との繋がりを絶ってくれる助けが現れてくれた、
という、救われたような気持ちでした。
いつまでも自分との関係性を断ち切れずにいた全てをようやく手放せた、という憑き物が落ちたような感覚。
感情や迷いや判断なしに不用品を捨てる、というのは本・当~に大変な精神的作業だと実感しました。
例えばこんな小さな引き出しの中身一つを「きちんと」捨てるとしても・・
(私の趣味の引き出しのひとつです)
・インクは中身を古布に吸わせて瓶と蓋は分別。
・絵の具は新品だからあの子に会ったらあげよう。
・ハンコは悪用されたら大変?
・万年筆は妹に確認しないと。。
・何かのパーツ(あるある)…なんだっけ
と、
面倒、とか仏心(笑)、とか、不安、とか判断不可能、などなどの理由で
まったくはかどりません。1日で綺麗に済むなんて無理。
そしてそこには「無駄なものを買ってしまった」とか
「自分は最後までモノを大切にできない人間なんだ」といった罪悪感もチラチラと。
どうですか?
こういう事がいずれ家じゅうのモノ、家族全員の分起こるんですよ!
気が重くないですか…?
経験者の私としてはもうあのダンプの列を見たら、
「余計な物を買ったり貰ったりするのはよそう」というより
うまく言えないけど、
「今あるモノがいつか何かの理由で不用品になることが怖い!」です。
こんな物語を思い出しました。
あるところに小さな鳥がいました。
鳥は朝になると一本の枝をくわえて海の上を飛び、
翼を休めるときはそれを波に浮かべて眠りました。
そして陸につくと枝を浜辺に落とし
また旅に出る時には再びその木の枝をくわえて飛んでゆきました。
でも鳥は寂しいと思ったことはありませんでした。
See you tomorrow.